医療機関、および患者さんの介護をする方へ



 1.患者が感じる痛みとは
 2.管理人の痛み
 3.Pain Visionについて
 4.医療機関のみなさんへ
 5.専門書「線維筋痛症とたたかう」によれば
 6.介護する方へ

1.患者が感じる痛みとは

線維筋痛症は、世界的に見て、いまだに発症のメカニズムや治療法について、確定的に定まったもののない疾患です。
患者さんだけでなく、医師や医療関係者、治療師のかたがたも、さまざまに試行錯誤を重ねながら、悪戦苦闘を重ねておられると思います。

患者からみて、日夜感じている痛みや辛さ、絶望感や焦燥感などを、医療関係者や、それだけでなく、家族や友人にも、具体的に伝えるのが難しい場合があると思います。
以下は、毎日途切れることなく痛みを感じているというのは、どんなものなのか、患者の一人として、自分が感じたことをまとめたものです。少しでも患者のまわりの方の参考になり、患者さん本人が楽になるための助けになればと思います。


患者さんは痛みを抱えながら、どのようにして生活しているか。

患者さんのまわりの人は、患者さんからつねづね「痛い、辛い」と言われていても、その痛む内容が具体的には掴めないために、患者さんの様子を見て、「痛い痛いと言いながら日常生活ができているじゃないか」とか、「だから、大したことはないんだろう」といったふうな感じで、ふだんは痛みのない自分自身を無意識に参考にして、患者さんの言っていることを計りがちになるのではないかと思います。

しかし、痛みを抱えた患者さんの日常は、痛みのない方の日常とは相当違ったものになっています。
たとえば誰でも、身体のどこかに痛みが発生したとして、それでも用事があったりしたときは、誰でもその痛みが引いてから、懸案だったそれをやろうとするでしょう。
少しのあいだだけ、痛みを我慢して、それが楽になったり、引いたりしてから、それまで我慢していたことを、やろうとするだろうと思います。

しかし線維筋痛症の患者の多くは、いつまで経ってもその痛みがおさまりません。何時間我慢しても、何日我慢しても、痛みは引くことがないので、患者さんは次第に、自分に訪れている痛みを観察するようになります。
滅多に痛みに襲われない人にとって、痛みに関する基準は、「痛いか」「痛くないか」だけだと思います。しかし、24時間痛みに襲われ続け、それが切れることがないと、患者さんは、自分を襲っている痛みを観察して、「大波」「小波」「激痛」「鈍痛」「疼痛」といったふうに、痛みの種類をつねにキャッチし続けるようになります。
そして、「痛みが底に沈んでいる」といった感覚、「痛みが意識中に撹拌されて、世界が濁っている」といった感じを、非常に鋭敏に感じ取れるようになります。
そして、次第に「痛み」の波の合間を縫って、いろいろな行為をやることを覚えるようになります。
患者さんは、いくら痛くても、たとえば歯を磨くとか、服を着替えるとか、トイレに行くとか、何かしらの行動を取る必要に迫られています。そうすると、自分に訪れている痛みの波をつねに観察して、その痛みの隙間を縫って、歯を磨いたり、トイレに行ったり、何かしら欲しいものを取ってきたりするようになるわけで、それは決して痛みがなくなったからできるようになったというわけではないです。
なにしろ、この病気を発症して何年も経ち、24時間ずっと痛みに襲われ続けていれば、とにかく自分の痛みを観察して、その合間に何かをやるということを身に付けざるを得なくなります。患者さんは、次第に痛みとの付き合い方を覚えていくようになるわけです。


決して痛みは消えない。

しかしそれは、決して痛みがなくなった、楽になったということではありません。
患者さんはいつも痛みに耐えがたい思いをしているわけで、とくに、激痛に苛まれているときの苦しみは、筆舌に尽くしがたいものがあります。「この生活を、いつまで頑張ればいいのだ」という、青息吐息の状態は続いているわけです。

しかし、痛みとの付き合い方を覚えた患者さんを見て、周りの人は、「痛みが楽になった」と考えたり、「痛い」という患者さんの訴えを軽く考えるようになったりしがちです。そして、痛みを抱えた患者さんの苦しみが、なかなか回りの方に理解されないということがあります。
発症して何年も経ち、まわりの方が、患者さんの「痛い」という訴えに慣れ、一方で、患者さん本人が痛みとの付き合い方を覚えてきたころには、患者さんとまわりの方のあいだに大きな意識のギャップが広がり、「理解されない」ことが積み重なり、患者さんは、深い孤独の中にいることがままあります。

回りの方は、痛みとの付き合い方を覚えた患者さんを見て、「あれだけやれるなら、もっとやれる」とか、「痛いと大げさに言っているだけ」と思ったりするかもしれませんが、患者さん本人は、痛みの合間を縫いながら、精一杯工夫して、いろいろなことをやっていることが多いです。

周囲の方の助けが必要な場合もあるでしょうし、誰か助けてくれないだろうかと、藁にもすがる思いでいることも少なくないと思います。
この疾患の患者さんは、手足が欠損しているなど、誰でも見れば分かる障害はほとんどありません。
そのことが、回りの方が患者さんを理解するのを、とても難しくしていると思います。なにより、「激しい痛み」という症状が、まわりからは全く見えないということが、患者さんを苦しめています。
患者さんは、常時途切れない痛みという、背骨が折れそうな重い荷物を背負って生きているということを、周囲の方は、理解してあげて欲しいと思います。

2.管理人の痛み

参考までに、最悪期のころの管理人の痛み数値と、そのくらいの痛みの中で生きるのはどういうものなのかを記したいと思います。


Pain Visionによる数値

ニプロ(株)が2007年に発売した「Pain Vision」という痛みを計測する装置があり、専門家がこの装置を使って発表した患者のデータがあります。
それによると、線維筋痛症患者の平均数値は、男性が361、91,女性が448,2で、比較のために、痛いという症状で知られるリウマチ患者の数値を測ると、およそ100から200くらいの数値を示す患者さんが多いです。
両者を比較すると、線維筋痛症患者がいかに強い痛みに耐えているかが分かります。

管理人が治療を始めたころ、治療した医師はまだPain Visionを導入しておらず、管理人の痛み数値を測ることが出来ませんでした。しかし、治療を始めて1年1ヶ月後、最悪期から比べて、痛みが激減したころに測った数値があります。
私はそのころ、痛みがもの凄く減ったために、第二の人生が始まったことを実感し、夢のようだと思い、再び人として生きはじめた実感をかみしめていたころに測定した数値が、800でした。

それまで履けなかったジーンズを履いたり、散歩の途中で立ち止まって秋の美しい空を眺め、本当に幸せを感じていたころに測った数値が、800だったのを知って、正直言って、ショックを受けました。
医師によれば、この数値から類推すると、治療を始める前の私の数値は、2000を楽に超えていただろうということでした。
専門家によれば、普通の人は数値が1000を超えると卒倒してもおかしくないと言います。日夜、数値が2000を越える状態が続くというのが、どういうものなのか、戦争に行ったことのない人が戦場を想像できないように、経験がある人でないと分からないものがあると思います。


人としての人生は終わり

この状態が続いているころ、私は、死ぬのはまったく怖くありませんでした。死んだら楽になる、天国に行けると思いつつも、「死んだら負け」「死んだら負け」と毎日、呪文のように唱え、気力、精神力だけでもちこたえていました。自分から死なないことが最大目標で、それしかやれることは残っていませんでした。

仕事とか、いろいろなものに感動すること、自分らしさ、自分に備わっていた属性など、生きることの意味をすべてはぎ取られ、文字通り、不幸のどん底でした。人として、これ以下は考えられない人生でした。
たとえば、ニュースなどで、「リストラされたから」「離婚したから」「事業で失敗したから」、「自殺した」「犯罪に走った」という話を聞いて、「下には下がいる。私を見ろ!絶望するな!」そういう気持ちでいっぱいでした。

よくなってきてから、私は長期に渡ったこの凄まじい経験によって、さまざまなもの事への感じ方が、ほかの人とずれてしまっていることを痛感しました。


奴隷に売られる方がまだまし?

「安寿と厨子王」という有名な話があります。遠い昔、遠方に流された役人の父に会いに行く途中で、安寿と厨子王が人買いに騙され、奴隷として売られ、母は、遊女として佐渡に売られる話です。
安寿は厨子王を逃がすために自ら犠牲になり、最後は、官史になった厨子王が母を迎えに行き、盲目になり乞食同然になった母にとうとう巡り会うところで話は終わります。
よくなってきてから、溝口健二監督のこの映画を観たとき、私は、自分の感じ方がほかの人とものすごく、ずれていることに、唖然とした思いとともに気が付きました。
映画が終了し、会場が明るくなったら、自分以外の人は、みなさん号泣していました。
私から見て、この物語はハッピーエンドであって、にこにこしながら見終わるものでした。
私は「よかったよかった」とにこにこしながら見終わり、会場が明るくなり周囲を見回したら、にこにこと笑っているのは私一人でした。
私は、この物語に出てくる人たちの苦しい思いを、他の観客のように、追体験できていないのでした。どこが辛いのか、分からないのです。そして、他の観客と自分との感じ方の大きな落差を見て、この疾患を経験したことによって、自分の不幸を感じる基準が、ほかの人と著しくずれてしまったことを痛感しました。

周囲をすべて、もの凄い量の痛みの雨で囲まれている感じ、故障したテレビにざあざあ雨が降っているのと同じように、猛烈な量の痛みの雨がまわりに降っていて、車椅子に座っていても、隣にいる人の年齢も分からない、寝ているのか、本を読んでいるのかも分からない、少し離れた場所で誰かがしゃべっていても、痛みの雨に遮られて話の内容もキャッチできない、痛みの豪雨のなかで、ようやくスポットライトを当てるように、意思の力で目の前の狭い範囲に意識を集中して、やっとのことで人と話したり、挨拶したりする感じです。気絶する少し手前の感じです。
大波小波はあっても、痛みは24時間途切れず、鎮痛剤も効かず、どれだけ痛くても手の施しようがない人生。

24時間そういった痛みに耐え、しかも回復する見込みがまったくなく、死ぬ時まで激痛に耐えるという未来を受け入れ、しかも、徐々に症状が悪化していったころの人生と、厨子王や、厨子王の母の人生とを比べてみて、かれらの人生のほうが、ずっと楽だろうと感じました。

戦場の体験に近い感覚

最悪の時期の自分と比較して、私がとても共感し、苦労が分かると感じた人の人生は、三つあります。
一つは、大岡昇平原作の小説「野火」で、太平洋戦争末期のレイテ島で、武器弾薬、食糧の供給が閉ざされ、肺病を病み、餓死に直面しながら絶望的状況で敗走する日本兵の人生です。その苦労がとてもわかり、共感できました。私の味わった苦労と似ていると感じました。

もう一つが、「日本の品格」を書いた藤原正彦さんの母が、戦争末期、夫がいないなか、ゼロ歳、2歳、5歳という子供を三人連れて、中国からソ連へ、そこから北朝鮮に渡り、そして決死の覚悟で38度線を越えた経験談です。母は、幼い子供を三人抱えて、激流のうずまく豆満江を渡りきったそうです。北朝鮮では食べるために物乞いまでしたということで、この決死の苦労も、すごく共感できました。
もう一つは、シベリアに送られ、零下30度で食糧不足のなか、凍てつくシベリアでの作業にかり出された日本兵の体験談です。

また、ホラー映画というものが退屈というか、どうでもいいものに感じられます。
「デスノート」より、自分の人生のほうが、よっぽど怖いです。ほぼ四肢全廃、凄まじい痛みが日夜続くという人生の怖さは、「デスノート」の比ではありません。
ごく普通に生活し、健康でなんでもやれた人間が、ある日を境に「ほぼ四肢全廃、凄まじい痛みが日夜続く」という生活を味わうことになる怖さは、ホラー映画をはるかに凌ぎます。
ホラー映画より、自分の人生のほうがぜんぜん怖いです。「地獄」にも行きましたし、もう、怖いものへのニーズはゼロです。

しみじみと強く思うのは、上記の三つの体験談と同じく、人間はこんな思いをするべきではないということです。

3.Pain Visionについて

痛みの大きさを数値として表せる

線維筋痛症は、強いめまいや疲労感など、さまざまな症状が出る疾患ですが、その中でも患者をもっとも苦しめるのは、全身に及ぶ激しい痛みではないでしょうか。
しかし痛みという症状は、血液検査、尿検査、レントゲン、MRIなど、何をやっても、その大きさが、数値として現れません。
どれほど強い痛みであっても、大きさを数値化したものを医療側に見せることができないために、それが、患者の主観的な悩みとして受け取られ、患者の感じる痛みが、心因性、気のせい、鬱病、嘘、詐病など、事実とは違う形で医療側に伝わることもあると思います。


「Pain Vision」



測定のようす



2007年に、「Pain Vision」という痛みの定量測定装置が、株式会社ニプロから発売されました。
この「Pain Vision」は、これまで、痛みの大きさを医療側に伝えるのに苦労していた患者さんや、その大きさを客観的に把握したいと思っている患者さんの、強い味方になる可能性があると思います。
株式会社ニプロ、および、この装置を開発した株式会社オサチに、装置の詳細をHPに転載する許可をいただきましたので、詳しく載せたいと思います。(以下は開発した株式会社オサチによる解説を要約しています)


ア.「Pain Vision」開発の経緯
イ.「Pain Vision」の概要
ウ.開発者ほか



ア.「Pain Vision」開発の経緯

痛みは、人体への警告信号として、極めて大きな意味がありますが、しかし同時に、痛みは人体への不快な感覚をもたらします。また、痛みはきわめて主観的な感覚で、痛みの大きさを正しく他人に伝えることは、非常に困難でもあります。
これまで医療現場では、この主観的な痛みを定量的に評価し、数値化できれば、鎮痛薬の効果や、あるいはさまざまな治療効果の判定に有用と考えられてきました。このような背景のもと、株式会社オサチは、人体が感じる「痛み」を定量化して、数値で記録し、治療の過程における痛みの変遷を明らかにする、痛み定量化装置「Pain Vision」を開発・実用化しました。

「Pain Vision」の開発・実用化により、従来は、目にすることも手で触ることもできなかった痛みの量を数値化し、医療側に、数表やグラフで提供することが可能になりました。
患者さんにとっては最大の難問であった、自分の感じる痛みを数値として第三者に伝えられるようになったことは、医療側と患者間で、痛みの量を共有できるようになったり、それによる患者へのより適正な投薬が可能になったのみならず、治療を受ける側が、さまざまな負担を減らす効果をもたらすことが期待されます。


イ.「Pain Vision」の概要

A.痛みの評価方法

従来、人間の五感を評価する場合には、おのおのの感覚を、何らかの物理量に置きかえる手法が取られてきました。たとえば聴力を評価する場合には、音を次第に大きくし聞こえたところでスイッチを押し、聴力レベル(デシベル)に置きかえて、耳の聞こえ具合が評価されています。
痛みの評価においては、人体が感じる痛み感覚と類似したもので、刺激量を直線的に変化させることが可能な異種感覚刺激として、電気刺激を採用しました。
電気刺激は、痛みに似た感覚を作り出すことができ、また、被験者に、痛みと同程度の感覚を与えることができます。与えられた感覚は不快ではありまずが、電気刺激を止めれば、その不快感も消失する特徴があります。
「Pain Vision」では、被検者の前腕内側部に電極を貼り付け、被験者に、徐々に増大する電気刺激を与え、被検者が電気刺激を最初に知覚したときの電流値「知覚閾値(ちかくしきいち)と呼びます」を「最小感知電流値(すなわち被験者が感じ取れた最も小さい電流値)」、被検者が感じている痛みと同等の電流値を「痛み対応電流値」としました。




痛みの感覚には個人差がありますので、被験者に一定の痛みを与えた場合でも、それだけでは大きな個人差が生じます。
電流感覚に対する個人差を取り除くために、痛み対応電流値を、最小感知電流値で割ることによって、「痛み指数」を算出し、痛みの定量評価値としました。




B.痛み評価に用いる電気刺激

痛みの評価を行う場合、電気刺激によって、被験者に痛みと同等の刺激を加えればいいのですが、被験者に、現在感じている痛みと同じ量の電気刺激を加えれば、被検者に別の痛みを与えることになってしまいます
「Pain Vision」を開発するにあたっては、被験者に不快な痛みを与えることなく、痛みと比較可能な刺激を考案する必要がありました。

人体は、全身の感覚器を通して痛みを受容しています。そして末端の感覚器で検出された痛みは、末梢神経を経て、中枢神経(脊髄および脳)に至ります。
痛みという感覚は、最終的には脳に投射されることにより起こり、脳で痛みと認識されます。
電気生理学的には、通常、筋や神経を電気的に刺激すると、痛みを感じることが知られています。被験者に痛みを感じさせずに、痛みと比較が可能な電気刺激を与えるために、これらの神経線維を考慮した刺激波形を考案しました。
この波形では、最も不快な持続する痛みを感じる神経線維を刺激せずに、しびれや、瞬間的な痛みを感じる神経線維を、効率よく刺激することができます。
本波形は被験者に痛みを与えることなく、痛みと比較することが容易な異種電流刺激波形を形成しています。


C.痛みの測定

上記の「最小感知電流値」、および「痛み対応電流値」、そして「痛み指数」は、検査過程の流れの中で、同時に演算され数値化されます。
このため、痛みの増減を単純に評価するだけではなく、痛みの原因についてのさまざまな判断材料を得ることができます。
たとえば、中枢に作用する麻薬性鎮痛剤を使用して痛みを抑制した場合には、痛みの原因自体を除去するわけではないので、被検者の知覚に対する閾値を上昇させることで、最小感知電流値が上昇し、図7のように痛み指数を減少させる結果になり、痛みが和らいだように感じます。

一方、痛みの原因自体を取り除く治療を行った場合や、皮膚表面のみに作用するような麻酔剤を使用して痛みの原因を除去した場合には、被検者の電流刺激に対する閾値の変化は起こらないため、最小感知電流値は変化せず、痛みの除去が行われたことにより、痛み対応電流値が減少します。
そしてその結果として、痛み指数も減少します。
「Pain Vision」による痛み測定では、「痛み指数」、「最小感知電流値」、「痛み対応電流値」の3つの要素を総合的に判断し、被検者が感じる痛みの大きさ、および治療の結果としての鎮痛効果の程度、そして、その理由や意味を、従来のように漠然と痛みが良くなったというだけではなく、詳細に評価出来るようになります。




*管理人注

患者にとって、モルヒネなどを使って一時的に痛みが消えることと、治療によって痛みの量が減ることの間には、大きな差があると思います。上記のように、「Pain Vision」を使うことで、痛みが減った原因を見分けることができれば、本当に治療による効果で痛みが減っているのかどうか、患者にも判断がしやすいと思います。
株式会社ニプロによれば、現在、各都道府県に1箇所くらい、「Pain Vision」を導入している医療機関があるようです。


ウ.開発者ほか

A.開発者:杏林大学保健学部 生理・生体工学教室 嶋津秀昭教授

B.2006年に「Pain Vision」の開発、事業化が、厚生労働省・関東経済産業局から新連携計画に認定されました。また2007年に、「Pain Vision」が第5回新機械振興賞 機械振興協会会長賞を受賞しています。

C.「Pain Vision」を使用しての研究者による発表

日本ペインクリニック学会第42回大会・ランチョンセミナー
【痛みの定量測定装置ペインビジョンの臨床応用】
 座長:花岡 一雄(JR東京総合病院)
 演者:有田 英子(JR東京総合病院麻酔科・痛みセンター、日本大学医学部麻酔科)
    井関 雅子(順天堂大学医学部 麻酔科学・ペインクリニック講座)
    加藤 実(日本大学医学部附属板橋病院)

4.医療機関のみなさんへ

医療機関の方から見て、激しい痛みを抱えている患者さんと、鬱を抱えている患者さんが、外見上、よく似て見えるということがあるようです。
私から見ても、重症の線維筋痛症の患者さんは、非常に神経質で、不機嫌で、むっつりしていて人嫌いの感じで、いつも人から顔を背け、能面のように無表情で、活力がなく、みな同じタイプの人のように見えます。


「激しい痛み」と「鬱」は違う?

ところが、そういった患者さんでも、治療によって痛みが激減してくると、その人本来の人格が次第に表に出てきます。
私の受けた治療法は、著しい効果が出る患者さんが多く、私から見て、陰鬱でむっつりしていた患者さんも、治療効果が出てくると、明るく礼儀正しく、しかもよく笑うといった、その人本来の人格が、だんだん表に現れてきます。
重苦しく、人嫌いだった外見上のイメージから、思いもよらなかった、人によく気を遣って優しいといった、性格や人格が出てきて、びっくりします。

私も、治療を始める前は、絵に描いたように上記のような患者でしたが、痛みが激ってきてから、よくしゃべり、よく笑い、とても活発というもともとの人格が出てきて、医療スタッフが「こんな人だったのか」とびっくりしていました。
「(痛みの)棺桶の扉を開けたら、こんな人が出てきて先生もびっくり」などと私は冗談を言っていましたが、痛みに押さえ込まれていると、冗談を言う余裕もありません。
それまでは、激しい痛みに押さえ込まれて、その人らしい自己表現が何もできないという状態です。

このように、私の感じでは、明らかに、「激しい痛み」「鬱」とは違うと思います。

私の受けた治療は、原発病巣と目される筋肉から脳の痛み中枢への痛み信号をブロックするという治療で、これは、身体に生じた物理的な不具合を直すといった治療であって、私自身は、この治療以外に鬱状態に効果がある治療は何も行っていません。
私個人は、おそらく性格的に強いこともあって、鬱的な症状がほとんどなく、痛みが激減するにつれて、強い痛みに押さえ込まれていたもともとの人格、本来の性格が、そのまま表に出てきた感じでした。

痛みが激しいときは、外見的所見から「鬱」と思われたり、周囲の人からは機嫌が悪いと思われたり、さまざまな誤解をされることがままあると思いますが、患者の方は、もの凄い痛みのために、自己表現・コミュニケーションがともにできないという状態に陥っているだけで、それらを押さえ込んでいた痛みが減れば、もとの人格、性格を取り戻せる場合も多いと思います。

認知行動療法について

医療関係者向けの線維筋痛症の専門書には、治療法の一つとして、認知行動療法が紹介されています。
具体的には、以下のような治療法です。

・患者に対して学習的な働きかけを行う。具体的には、疼痛の訴えや、痛いからやらないといった患者の行動傾向を無視する。そのかわりに患者の身体活動性を上げていく。
・身体活動性を増加させるとともに、「痛いから何もできない」といった患者の否定的な思いこみを変える。身体は痛いが、やるべきことはやれるし、生活を楽しめるといった、建設的な態度に変える。
・リハビリ(理学療法および作業療法)のノウハウが役に立つ。
といったような内容です。

しかしながら、鬱的症状がなく、中枢感作による激しい痛みや眩暈、重量感などの症状が非常に強い患者にこの治療を行うのは、危険な場合もあるように思います。

たとえば私の場合、「介護する方へ」のページでも書きましたが、頑張れば20−30メートルくらいは歩けたときに、ある医師から、「プールで水に浸かりながらゆっくり15分くらい歩くと、楽に歩けるようになる」と言われました。
私は即刻プールに行って、ゆっくり休みながら15分歩いたところ、その翌日に腰に激痛が走り、20メートルどころか、一歩も歩けなくなりました。

足が一歩も前に出なくなってひどい痛みに苛まれる状態が3ヶ月くらい続き、以前のようになんとか20−30メートル歩けるようになるのに、半年くらいかかりました。
そのほかに、重症の患者さんで、医師に「とにかく運動療法をやりなさい」と言われ、痛みに耐え、必死に医師から指示されたメニュー通りに自転車こぎをやり、その結果、もの凄く悪化し、その後、数年間、非常な痛みで完全に寝たきり状態になった方がいます。

線維筋痛症の患者の多くは頑張り屋

線維筋痛症の患者さんは、どちらかというと、それまでにさまざまな辛い人生経験を乗り越えてきていて、いわゆる根性のある人が多く、医師に「よくなるからやりなさい」と言われれば、根性で頑張る人が多いです。
医師に「やれ」と言われれば、何としてもやろうとします。そして、その結果として、症状を非常に悪化させる患者さんがいる可能性は、否定できないように思います。

患者さんはそれぞれに筋肉の状態が違いますし、それぞれの状態を診て、それを把握し、管理することをせずに、一律にこのような療法を行うのは、難しい気がします。

そういった治療とは別に、かなり回復してきた患者さんが、リハビリのために、少しずつ身体に無理がかからない範囲で、ゆっくり歩くなり散歩するということは、さらなる回復のために重要ですし、また、軽度の患者さんに、運動療法が効果があるということは十分あり得ると思います。

また、身体が回復してきて、痛みやその他の症状が取れてきたのに、なかなか鬱的な症状が回復しない場合に、上記のような認知行動療法が効果が上げることもあるでしょう。
しかし、重度の患者さんも軽度の患者さんも、鬱症状のある患者さんもない患者さんも、一律に、これはよくない、これをやるとよくなる、といった方針で治療をするのは難しい気がします。

また、どの患者さんにも一律に、「リハビリ」の概念を当てはめるのは、患者さんによっては悪化を招く可能性があると思います。(「介護をする方へ」参照)

患者一人一人違う筋肉の状態

私に治療を行った医師は、治療のたびに筋肉の状態を触診し、筋肉に起こっている変化や回復状況を把握して、今は「これをやるとこうなる(だから止めなさい)」、あるいは「もう大丈夫」といった具体的な助言を行っていました。
患者が「これをやりたいが大丈夫ですか」と助言を求めると、やっていいか否か、具体的な答えが返ってきて、患者としては助かりました。

たとえば、「家族と車に乗ってどこそこに行きたい」などと言うと、「今、治療で首周辺の筋肉がゆるんでいるから、車で高速道路を走るとGがかかって首が痛くなるから、高速道路を走るのは止めなさい。車に乗るのは一日30分が限度」あるいは「飛行機に乗って一時埼玉に帰りたいが」「もう飛行機は大丈夫。ただし小型機ではなく大型機にしなさい。大型機の方が飛行中の身体へ負担は軽いです」などという具体的な助言がありました。
そして結果的に、それぞれ医師の言ったとおりになりました。
やはり筋肉の状態を具体的に触診し、筋肉の状態を具体的に把握してもらえば、行動の指針を出してもらいやすいのではないでしょうか。

5.専門書「線維筋痛症とたたかう」によれば

2004年に出版された専門書「線維筋痛症とたたかう」では、患者が病院に入院したときに、看護師など介護をする方に、病気のことをなかなか理解してもらえず、とても苦しんだ体験談が載せられています。多くの患者さんが、入院先や自宅で、看護師や介護をする方に病気のことを理解してもらえず、苦しい思いをしていることは確かです。

*以下の出典は、「線維筋痛症とたたかう 未知の病に挑む医師と患者のメッセージ」(2004年出版・発行:医歯薬出版株式会社)による。

・手が痛くて箸やフォークを持てないため、介護なしには病院食を食べられないが、食欲がないと思われて膳を下げられてしまう。
・飲み込むのが困難な場合でも、流動食ではなく普通の食事が出されることがあり、ほとんど食べられない。
・外見上は病的な症状が見えないため、無理解が、介護をする方の態度になって現れ、看護師長に「歩けるなら早く退院して欲しい」と言われたことが何度もある。
・介護者の態度から、仮病・詐病と疑われていることを何度も感じた。

また、この本に出てくる患者さんのなかには、激痛に襲われてベッドから動けないとき、看護師が入ってくるたびに「痛い!」と訴え続けたところ、その報告を受けた看護師長に怖い顔で「痛い、痛いって言い続けてうるさい!」と怒鳴られた方もいますし、看護師や介護をする方に病気のことを理解されずに傷つき、体調が悪化したままの状態で病院を追われた経験を持つ患者は少なくありません。

この疾患を発症した患者さんが感じる痛みは、たとえば骨折した痛みとか、あるいは胃潰瘍などによる痛みとは違う、特徴的なことがいくつかあります。それらの特長と、それによって患者さんがどんな心理に陥っているかについて、下記にいくつか記したいと思います。

6.介護する方へ

イ.線維筋痛症の著しい特長
1.患者が感じる痛みは、非常に激しい。
2.痛む箇所が、よく移動する。
3.薬を飲むと、激しい副作用が出ることがある。

ロ.患者は、どんな状況に陥るのか
4.重症になると、あまりに痛いために周囲の人と会話ができなくなる。コミュニケーション能力が落ちる。
5.患者は、できることにムラがある。
6.多くの患者さんは、非常に心が傷ついている。

ハ.介護する方へ
7.患者さんの心を傷つけないであげてほしい。
8.患者さんの痛みが楽になるケアをする。

イ.線維筋痛症の著しい特長

1.線維筋痛症の患者の痛みは、非常に激しい。

この疾患を発症している患者の痛みがどれだけ激しいかについては、痛みの量を計測する装置を使って収集したデータがあります。
2007年の線維筋痛症公開シンポジウムで、聖マリアンナ大学の岡寛準教授は、ニプロ(株)が発売した「Pain Vision」(痛み定量化装置)で、線維筋痛症患者が感じる痛みのデータを発表しました。
それによると、患者の平均数値は、男性が361、91,女性が448,2でした。比較対象として、辛い痛みを伴うとして知られているリウマチ患者の数値を比べてみると、ほとんどの患者さんの数値は、100を越えることはないそうです。
この数値をもとに考えてみても、線維筋痛症の患者は、リウマチ患者の、数倍から数十倍の激痛に苦しんでいるということになります。
しかも、データを取った47人の女性患者のうち5人は、普通の人であれば痛みで卒倒する数値、1000を越える値が出ました。
重症になった患者の一人として、この数値は、私自身、非常に納得のいくものです。しかも重症になった患者の多くは、痛みが休みなく続き、寝ているときもとくに減ることはありません。

2.痛む箇所が、よく移動する。

この疾患に特徴的なのは、非常に痛いというだけではなく、痛む箇所がよく移動するということです。たとえば、きょうは少し楽だから歩いてみようといったとき、歩き始めた最初は右足の付け根が痛いと言っていたのが、しばらくすると右より左のほうが痛いと言ったり、歩き始めは腰が痛かったのが、しばらくすると腰よりも背中が痛くなっているとか、そういうことが、ままあります。
これは、この疾患の痛みがどこから起こっているのかということに関わります。痛みが起こるメカニズムについては、HPの「線維筋痛症の概念」のページをご参照いただきたいと思いますが、とくに次の記述が、この疾患の特徴的な部分です。

「線維筋痛症は、脳のなかの痛みを感じる感受性の部分が変化を起こし、身体の各部分には異常が起きていないにもかかわらず、患者自身が激しい痛みを感じる疾患です。身体には異常が起きていないのに、患者が激しい痛みを感じるのは、末梢にある痛みを感じる感覚受容器から、痛みの中枢に至るまでの痛みの伝達経路(つまり痛み信号の上り経路)のどこかに、異常が起きているからだと考えられています。 」

「身体のどこかが致命的に痛んでいたり、傷を受けているときに、脳がそれに気づかないでいては、もっともだいじな生命が危機に瀕してしまいます。したがって何かしらの異常を感知したときには、脳はすべての活動をストップさせ、その「警報」、つまり痛みに気持ちや神経を集中させようとするでしょう。
そして線維筋痛症は、たとえてみれば、その装置が警報を出した状態のままで故障し、警報が鳴りっぱなしの状態が四六時中続くという病です。つまり、生命の危機を知らせる警報「痛み」が発生し、「この警報に注意しなさい」という状態のまま、「痛み」のスイッチが入りっぱなしになっているようなものといえます。」

「それは、人間の中脳部にある、痛みを伝達するときの感度を調整するべき機能が、上手く働かないということになります。」

つまり、線維筋痛症の場合、たとえば骨が折れていたりとか、潰瘍や腫瘍があるから痛いという、正常な形で発生する痛みとは違う痛みということになります。
痛みを司る、脳内の痛み中枢がいわば故障し、身体の各部分には異常がないのにもかかわらず、「痛み」という警報を出したままの状態がずっと続いているという疾患です。
痛む部分には別に異常が起こっていないので、痛む箇所のレントゲンを撮っても、通常は異常は見られません。また、患者が感じる痛む箇所がよく移動するのも、中枢で感じている痛みであるということと関係しているものと考えられます。

ふつうの患者さんなら、痛む場所が骨折しているとか、あるいは潰瘍があるとか、そこに何かしらの不具合が起こっているから痛むわけで、ふだん、そういう患者さんの介護をしている立場からすれば、線維筋痛症患者の言っていることは、どうも嘘くさく聞こえるかもしれません。しかし、私の経験でも、痛む箇所は、よく移動します。しかも、それは本当に痛いわけで、決して嘘を言っているわけではありません。
線維筋痛症患者の介護をされている方は、患者さんの言っていることを疑わずに、受け止めてあげて欲しいと思います。
また、線維筋痛症という疾患について、非常によく把握しているとはいえない医療機関の場合、患者が入院しても、介護をする方から誤解を受けることがあるようです。
怪我からリハビリ途中の患者さんや、老化を防ぐための運動をしている患者さんと、線維筋痛症が一緒の形で考えられたり、扱われたりということが、ときどきあるようです。

線維筋痛症患者が感じる痛みは、脳中枢の異常によって引き起こされる痛みであって、怪我をした腕、肩とか腰などを、リハビリを通して元通りにするという概念や、老化を防ぐために運動をまめにして運動機能を温存するといった概念は、当てはまらないことが多いです。
たしかに線維筋痛症に適していると言われる運動もありますが、それを行う場合は、線維筋痛症という疾患についてじゅうぶん理解している必要があるでしょう。

とくに重症になってしまった患者さんとか、痛くてそれができないという患者に、無理に作業を強要すると、症状が悪化することが十分にありえます。
患者に起きている脳の痛み中枢の異常は、痛みを伝達する信号が、過剰に身体を巡っている状態です。
患者は、末端の痛みの感覚受容器から脳へ、痛み信号が過剰に送られているから痛みを感じるわけで、感覚受容器からの痛み信号のインプットが多くなれば、痛みはさらに増します。

通常の、身体に負担をかけるリハビリのような作業は、感覚受容器からの痛み信号のインプットがさらに増える可能性があり、リハビリすればするほど痛みが増え、状態が悪化することも、ないではありません。

管理人も、20メートルから30メートルくらい歩ける比較的状態のいい時に、当時治療を受けていた医師から、「プールの中を歩くといい。そうすると、もっと動けるようになる」と言われ、すぐにプールに行って、胸まで水に浸かりながら、ゆっくり休み休み15分くらい歩きました。すると、その翌日に関節がはずれたような激痛が腰に走り、足が一歩も前に出なくなりました。そしてその状態が、3ヶ月くらい続きました。

患者さんが今感じている痛みを増やさないためには、まず、感覚受容器からの痛み信号のインプットを減らすことが重要です。患者さんが強い痛みを感じているときは、さらに痛みを感じるような行動や、作業は極力、控えた方が無難な場合が多いです。

3.薬を飲むと、激しい副作用が出ることがある。

詳しい説明は、「線維筋痛症と化学物質過敏症」のページをご参照いただきたいと思います。
この説明にもあるように、線維筋痛症患者は、化学物質過敏症を併発していることが、ままあります。
管理人である私も、線維筋痛症を発症してから目が非常に見えにくくなり、それでも目を無理して使ったことが引き金になったのか、白内障、緑内障をともに発症しました。しかし、眼科で処方された白内障、緑内障の点眼薬を目に点しただけで発熱し、具合が悪くなりました。もちろん線維筋痛症を発症するまでは、点眼薬を点して発熱したことは一度もありません。眼科で聞いたところ、処方された点眼薬で、発熱して具合が悪くなる患者さんはほかにはいないということでした。
管理人である私も、線維筋痛症を発症してから、処方される薬剤に非常に過敏になりましたが、化学物質過敏症を併発している場合には、薬を飲んだときの副作用が、通常よりはるかに激しい場合があります。
患者さんが、「薬を飲むと嘔吐したり強い眩暈がしたり、非常に辛い」と言っているような場合には、薬を飲むことを強要しないであげてほしいと思います。

ロ.患者は、どんな状況に陥るのか(1)

4.重症になると、あまりに痛いために周囲の人と会話ができなくなる。コミュニケーション能力が落ちる。

たとえば重症患者が痛みをこらえ、屋外に出たとします。しかし、そこに知っている人がいた場合でも、挨拶すら、うまく出来ないことがあります。
患者は、上記に書いたように、あまりの痛さで頭がもうろうとしています。
例えると、熱が40度か41度くらいある感じです。誰でも熱がそれだけあれば、意識がもうろうとして、知っている人に挨拶さえできないこともあるでしょう。重症になると、痛みのために、およそこのくらい頭がもうろうとしています。
そして、そのくらいの痛みがあると、顔を上げるのさえ辛いです。そういう患者が挨拶するためには、まずは痛みをはねのけ、顔を上げて笑顔を作らなければなりません。そして、相手から何か挨拶をされたら、一言二言くらいは言葉を返さなければならないでしょう。しかし、患者は猛烈な痛さのために、たったそれだけの余裕がありません。
私も悪化していたとき、一歩屋外に出たときには、常に痛みで目が眩んでいる状態で、あとから考えても天気が良かったのか悪かったのかすら、よく思い出せないような感じでした。たとえそこに花壇があり花が咲いていたとしても、何の花なのか見る余裕はとてもありません。

そういう状態なので、ふつうの人がこの疾患の患者さんと話すときに、患者さんが不機嫌なのではないかと思うこともあると思います。しかし、たとえば熱が40度とか41度とかある状態で、人としゃべったりするのは難しいでしょう。
患者さんは、ほかの人と喋りたくないのではなく、喋るというコミュニケーションじたいが出来ない状態に陥っていることが、ままあります。
通常、会話するときは、単に言葉だけではなくて、無意識のうちに身振りや手振り、表情や相づちなども使って会話しているものだと思います。
しかし多くの患者は、話の流れに沿って同意の身振りをしたりとか、相づちを打ったりなどができません。それだけでなく、常時身体が痛いので、相手の話を聞きながら首を回したり肩を押さえたり、あるいはとつぜん横になってしまったりという動作をせざるを得ません。
ふつうなら、相手から、「話を聞いていないのではないか」と誤解されるような動作をとらざるを得ないのです。

患者側も、多くの場合、このような誤解を招くことが分かっていて、病気のことを知らない相手と喋ることを避けたいと思うようになりがちです。多くの患者は、10秒から15秒の立ち話さえ、その間に感じる痛みに恐怖を感じるほどの辛い痛みの中にいます。そういう事情があるので、介護をする方たちと、うまくコミュニケーションが取れないこともありえると思います。

5.患者は、できることにムラがある。

線維筋痛症は、上記のようなメカニズムで痛みが発生する疾患なので、通常の患者さんとくらべて、出来ること、出来ないことに、とてもムラがあり、しかも、個人差がとても大きいです。
私の例を挙げてみますと、かなりよくなってきたときでも、通常の人ならなんなく出来ることで、私には出来ないことは数多くありました。
例えば1キロ以上の重さの荷物を持ち歩けない(この状態だと、携帯電話と折りたたみの傘は一緒に持って歩けません。)走れない、車輪付きの買い物車を引っ張って歩けない、バスや電車のなかで立っていることができない、などでした。

相当回復して、HPを作っている現時点でも、やはり1キロ以上の重い物は持てませんし、鍋が持てない、掃除機を使えない、腕を上に上げて作業が出来ない、車の運転ができないなど、できないことは数多く残っています。
また、見たところはかなり回復しているようでも、腕が使えないので、洗濯物が干せなかったり、字が書けないという方もいます。
この、字が書けないという症状は、一時私にもありました。腕が痛くて字を書くという動作が出来ないのと、眩暈が非常に強く、動くペン先を見ていると船酔いのように酔ってしまうのです。

ちゃんと歩ける患者さんでも、字が書けない人もいますし、見たところは回復しているようでも、携帯電話を持って歩けない人もいます。普通の人とは違い、できることとできないことに、相当のむらがあります。
しかし、線維筋痛症についてあまり知識がない場合、そういわれてもなかなか信じられないかもしれません。従って、「やれるのにやろうとしない」という誤解をされたり、「嘘つき」「面倒だから、人にやらせたいのだろう」「エゴイスト」「自分勝手」という誤解をされたりすることもあります。
でも、そうではなくて、本当に出来ないことが多くあります。患者さんの言うことを疑わず、信じてあげて欲しいです。

ロ.患者は、どんな状況に陥るのか(2)

6.多くの患者さんは、非常に心が傷ついている。

私が寝たきりで、毎日痛みと闘っているときに、ただ単に生きているだけでどのくらい辛いのか、自分の実感を、いろいろな人と引き比べて考えていました。
私がもっとも親近感を抱いたのは、むかし、中国の西太后に嫉妬されて、両手足を切断され、生きながら壺に入れられた皇帝の愛人でした。
ただ生きて呼吸しているだけで、人間としての行動がなにも出来ない、人として生きていないという感じは、だいたい、この、壷に入れられた愛人くらいの感じでした。
そして私は、壷から出られないように布団から出られないだけではなく、朝から晩まで、寝ているときでさえ中断することのない痛みに襲われ続けていました。しかも激痛でした。
どこにも行けず、歩けず、24時間続く激痛に耐える人生です。
ふつう、ある日を境に、突然そういう境遇に置かれたとして、「さあ、このまま5年生きなさい」と言われて、「よし、5年がんばろう」という決心は、なかなかつかないだろうと思います。
私も、とても5年、生き続ける自信はありませんでした。私は、そんなに先のことは考えないで、「死のうと思えばいつでも死ねるのだから、今日、明日あさっての、三日間くらいは死なないでがんばろう」。この言葉を、まるで標語のように心に抱いて、そういう日々を生きていました。

だいぶよくなってきてから、私が、最高にうれしかったほめ言葉があります。ほめてくれたのは、同じ疾患を発症した若い女性の患者さんでした。彼女にもやはり、トイレにも行けないような最悪の時期があり、その寝たきりの状態は約1ヶ月間続き、やはり、その間に死を考えたそうです。
私が発症してから治療を始めるまで6年以上かかり、最悪の時期が3年から4年続いたことを彼女に話したら、「よくも3年ものあいだ、その状態を生きて耐えましたね。私だったら舌噛んで死んでいたかもしれない」と言われました。
これは私にとって、最高にうれしいほめ言葉でした。「よく生きていたね。」
そういわれて、ほんとうに私はがんばったと思いました。

上記のような状態に耐え続け、しかも治療法はなく、死ぬまでそのままという逃れようのない事実に直面し、そして毎日を生き続けることがどれほど大変か、同じ病気を発症した人にしか、おそらくわからないでしょう。
生きることそのものが、難行苦行で、この辛さの中で生き続けるかどうか、毎日まいにち考えあぐねます。私自身、この疾患を発症して重症になった患者さんで、「一回も死を考えなかった」という人には会ったことがありません。
どの患者さんも必ず、少なくとも一度は死を考えたことがあると言いますし、また、一度も死を考えなかった人はいないのではないかと、多くの患者さんが口を揃えます。

そういう苦行をともなう疾患なので、自殺された患者さんは、マスコミで報道されたO元アナウンサーだけでなく、何人もおられますし、未遂の経験者はとても多いです。遺書を書いたという患者さんも少なくありません。
こういう日々を生きている患者さんは、非常に心が傷ついています。私自身にも、こういう日々を耐え続けたことよるトラウマがあります。
たとえば、私はテレビをつけっぱなしにしていることができません。非常に辛いころ、私は毎日、布団に横になりながら、テレビをつけっぱなしにして、しかも目もよく見えないので、ただテレビから流れる音声を聞き、まるで人としての人生を送れない、何もできない、しかも、よくなる希望は何もない絶望的な人生に耐えていました。今、点けっぱなしのテレビの音を聞くと、そのときの辛さがまざまざと蘇り、私の心を刺します。

重症になってしまった患者さんは、私が経験したのと同じ、耐え難い痛みと、それをいかんともし難いという、文字通りの不幸のどん底にいます。
非常に心が傷ついているので、その状況に耐え続けている患者さんを侮ったような言い方をしたり、患者さんの感じている辛さを軽く見るような言い方をされると、とても傷つきますし、理不尽を感じ、苦痛を感じます。
ほかの疾患の痛みと比較されるとか、ほかの患者さんができるのにそれと比べてとか、そういう言い方や見方は、患者さんを耐えきれない気持ちにさせることもあると思います。

これまで述べてきたように、重症の線維筋痛症は、痛みと共存しながら、なにか物事ができるという疾患ではありません。ほかの患者さんが何気なしにできること、簡単にやってしまえること、たとえばテレビを見たり新聞を読んだり、あるいは庭で花を眺めながら話をしたりといったことさえ、できなくなっている人も多いです。人生は、ほかの患者さんに比べて、絶望的です。
簡単にそういった患者さんのことを引き合いに出して、ほかの患者さんも大変なんだからという言い方には、怒りさえ感じます。

また、この疾患は、たとえば煙草を吸い続けて肺ガンになったとか、暴飲暴食と運動不足が重なって成人病になったとか、そういうふうに、本人の行動に何かしらの原因があって発症する疾患ではありません。
同じ中枢感作による疾患グループの中でも、なぜ肩こりや腰痛ではなく、激烈な痛みを引き起こす線維筋痛症を発症してしまうのか、その発症因子には、交通事故などによる体幹部分の損傷や、遺伝子や、幼児期の虐待などが考えられていますが、いずれも、肺ガンや成人病と違って、本人の努力ではどうにもならないものばかりです。
患者本人に原因があって発症する疾患ではないだけに、不幸にもこの疾患を発症してしまった患者さんが感じる哀しみ、無念、怒りの感情は、普通の人の想像をはるかに超えるものがあります。

ハ.介護する方へ

7.患者さんの心を傷つけないであげてほしい。

上記のように、患者さんは、自分が感じる激しい苦痛を誰とも共有できないこと、なかなか自分の症状が理解されないことなどで、とても傷ついていることが多いです。介護する方は、そういう患者さんの心を理解してあげて欲しいと思います。

患者さんは、とても絶望的な環境に置かれています。ただでさえ毎日感じる怒りと無念、さらに、自分の苦しさを周囲の人と分かち合えない孤独感、周りの人たちの度重なる無理解などが重なってくると、発作的に自傷行為に走りたくなる衝動に駆られます。
たとえ自殺に走らないまでも、それをやれば悪化することが分かっているので、ふだんは我慢している行為をやらざるを得ない気持ちになったりします。
引き出しを開けて欲しいものを捜すとか、冷蔵庫から重いペットボトルを出すとか、そういうことすらも、それをやったがために数週間、布団から上半身を起こすこともできなくなったりします。患者さんは経験上、それをやったらもっと激しい痛みを引き起こすと分かっていることは、一生懸命我慢しています。
しかし、周囲の人のあまりの無理解な行動に晒されると、我慢が限界に達して、気持ちが切れ、ふだんは自分をなだめて我慢していることを、思わずやってしまうこともままあります。
それが、悪化に直結すると分かっていても、怒りのあまり、自暴自棄的な行為に走ることもありがちです。
激しい痛みと戦っている患者さんを、さらに心理的にマイナスの方向に追いやらないように、患者さんの介護をされたり世話をされる方は、患者さんの心をいたわってあげてほしいと思います。

8.患者さんの痛みが楽になるケアをする。

からだを暖める。
痛む箇所の筋肉は、そこを暖めることで、痛みが楽になることが多いです。
具体的には、白金カイロを使ったり、布団の中で痛む箇所を暖めるには、ゴムの水枕にほどよい温度の湯を入れて、それを痛む場所に当てると効果があることもあります。
激痛に苦しむ患者さんの場合、軽くそこに手を触れただけで飛び上がるほど痛がることもありますが、水枕自体が柔らかいので、材質が固い湯たんぽより、患者さんが楽に身体を温めることができるように思います。
身体全体が痛いような場合は、湯を入れた水枕で身体を左右から挟むと楽になることもあります。
ゴムの水枕は、熱湯を入れると接合部分が溶けてしまうので、ほどよい暖かさの湯を入れた方がいいです。

患者さんが楽になる体位を取る。
患者さんそれぞれ、痛む場所が違いますし、また、痛い場所が日によって移動するのは、書いてきたとおりです。楽な体位も患者さんによって違うので、患者さんの言っていることをていねいに聞いて、寝ているとき、できるだけ楽な体位をとれるように協力してあげて頂けたらと思います。

トリガーポイントへの治療
リンク集でも少し書いたように、筋肉のトリガーポイントへの治療は、痛みを楽にする効果が望めます。そこへのマッサージ、針治療、オステオパシーなどの整体治療が、痛みを楽にする効果を上げる場合もあります。

軽度の患者さんの場合、軽い運動をしたり、プールの中をゆっくり歩いたりすることで、痛みが楽になることもあります。しかし、重症の患者さんの場合は逆効果になることもあります。
あくまで無理をせず、身体の調子を見て、痛みが楽になるかどうかをよく確かめて作業を行うことが大事だと思います。

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