(参考)
「上州無宿我紋次郎」ブログ
もう一つのブログ
じつは私は上記のほかに、もう一つ、別のブログを書いています。
書き始めたのは2007年2月です。翼突筋除痛療法を始めて、4カ月めでした。
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私の場合、治療を開始する前は、パソコンもテレビ画面もほとんど見られず、文章を作るのは事実上、不可能でした。
治療を始めて4カ月経ったころから、一日に30分なら、椅子に座ってパソコンで文章を作れるようになりました。でも、まだ目がくらむくらいの痛みは残っていました。その当時から書き始めたものです。
その後、ずっとこのブログを書き続けた結果、こちらに入れた文章も、原稿用紙で1200枚を超えるくらいになりました。
非常に悪化していた患者でも、翼突筋除痛療法でこのくらいの回復はできるという意味で、患者さんの参考になるかもしれないと思い、HPで紹介することにしました。
「上州無宿我紋次郎ブログ」について
2006年秋に独りで福岡に移り住み、治療を始めたころ、正直に言って私は、回復できるという希望はまったく持っていませんでした。
当時は当然ながら、このHPもなく、この翼突筋除痛療法でも、まず効果が出ることはあるまいと思っていました。
それまで、新しい治療を始めたときも、希望とは逆に悪化することも多くて、福岡での治療でも、やはり悪化する可能性も十分あると思っていました。
線維筋痛症を発症し、次第に悪化してからは、死ぬことはまったく怖くありませんでした。
江戸時代、下手人に対して行われた拷問のように、大きな石を膝に抱かされて、のこぎりの歯のようにぎざぎさの床の上に座らされるような、目がくらむような残酷な痛みが死ぬ日まで続くという未来を受け入れて、しかし、それでも自殺をしないという目標をなんとかクリアするためだけに、がんばる毎日でした。
ですから、新しい治療で悪化して死ぬなら、それはそれでけっこうという感じでしたが、そういうなかで、私はテレビの再放送で「木枯し紋次郎」をたまたま見ました。
私の目に映った「木枯し紋次郎」は、世間からは火附け盗賊と同じ類いという目で見られ、人々から排斥されながら街道を独りきりで旅する無宿者で、その未来には希望も救いもないなか、最後まで自らが決めた行動規範と、心の掟を失わない人でした。私はこの主人公に夢中になり、下記のブログを書き始めました。
ブログの扉にはその辺の事情を書いています。治療前はそういう状態だったのですが、治療開始から約3年経って、これだけ回復しました。
ブログアドレス
http://blogs.yahoo.co.jp/hirosigerubi3
「上州無宿我紋次郎」
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