「痛みの研究」
新潟県医師会報 H19.11 692:1-5
新潟大学大学院医歯学総合研究科器官制御医学講座 准教授
河野 達郎
はじめに
私たちは手や足をどこかにぶつけると、「痛い!」と感じて、それを回避しようとする。つまり、痛みを感じることは私たちの体を守る生体の防御システムとして重要なものである。
世の中には、痛みを感じない、汗がでない「先天性無痛無汗症」という疾患がある。人は痛みを経験し学習する中で、自分の行動を制御していくが、痛みのない世界にいる子供は、その学習が難しく、防御反応が欠如している。そのため、乳児期に歯が生え始めると舌で歯をこすって深い潰瘍ができたり、指をかみ切ったりする。
・・・すなわち、私たちは痛みがあるので体の損傷に気付くことができ、痛みを感じることに感謝しなければならない。しかし、この痛みを治療せずに我慢し続けると慢性的な痛みになり、治療が困難になることがある。
実際、ペインクリニックには多くの難治性慢性痛の患者が受診してくる。これらの患者の多くは、非ステロイド性消炎鎮痛薬(NSAIDs)などの消炎鎮痛薬やモルヒネなどの麻薬性鎮痛薬にもしばしば抵抗性であるため、患者の苦痛は著しく、社会生活は制限を受ける。このように多くの患者が痛みに苦しんでいるので、「痛み」研究は必要である。
・・・1990年代のアメリカ議会による「脳の10年」と題した生命科学の振興策は、世界の脳研究の進歩に大きなエポックをもたらした。よって、アメリカ議会はそれに続く第2番目の生命科学の振興策として、2001年からの10年間を「痛みの10年(the
Decade of Pain Control and Research)」(図1)とする宣言を採択し、この宣言に当時のクリントン大統領が署名した。
この宣言は膨張し続ける医療経済上の問題解決はもとより、痛みを持つ患者の病態の科学的解明とその治療および福祉の向上に向けての画期的な取り組みといえよう。これは、「痛み」研究のさらなる振興とその医療の刷新を目指したものであり、欧米諸国ではそのための様々な取り組みがされている。
さらに、この宣言によって、アメリカでは「痛み」を、体温、呼吸、心拍、血圧と同列の第5のバイタルサインとすることが決められ、痛みについて記載することが義務づけられた。
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「痛み」とは?
1965年に発表されたゲート・コントロール説1)以来、痛みの研究はこの40年ぐらいの間に急速に進んだ。
・・・では、どうして痛みを感じるのかを説明する。手足をどこかにぶつけると、まず「痛い!」と感じて、その後にズーンとした痛みが感じられる。最初の痛みが一次痛、次にズーンとくる痛みが二次痛である。
痛みの神経線維には有髄の細いAδ線維と無髄のC線維があり、速く鋭い痛みである一次痛を伝えるのがAδ線維であり、遅く鈍い痛みである二次痛を伝えるのがC
線維である。
研究の進歩によって、このような正常の痛み(急性痛)のメカニズムはほぼ解明された。
私たちの身体の皮膚には無数に痛覚受容器というものがあり、これが痛み刺激を感じてその信号を脳へ送り、痛みとして感じられる。つまり、痛覚受容器は組織が損傷したときの痛み刺激を末梢で最初に受けとるものである。
一次知覚ニューロンの細胞体は脊髄後根神経節にあり、軸索は中枢側と末梢側に分かれているが、痛覚受容器は末梢側の軸索の末端が形態学的に特殊化した自由神経終末である。
この痛覚受容器は機械的刺激のみに反応する機械受容器(mechanonociceptor)、熱刺激のみに反応する熱受容器(thermo nociceptor)、機械的、温度、化学的刺激などの質の異なる刺激に反応するポリモーダル受容器(polymodal
nociceptor)に分類される。
組織が損傷されると、内因性の発痛物質が産生遊離され、痛覚受容器にある受容体に結合し、膜のイオン透過性の変化によって活動電位が発生し、痛みの神経線維を介してその情報は中枢側へ伝えられる。
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次に、その痛みのインパルスが脊髄の背側半分にあたる脊髄後角に達し、二次知覚ニューロン(脊髄後角ニューロン)へのシナプス伝達が行われ、痛み情報を伝える。シナプス伝達とは、脊髄後角まで痛みのインパルスが到達すると様々な神経伝達物質が放出され、それぞれの伝達物質に対する受容体に結合し、ニューロンを介して情報を橋渡しすることである。
脊髄後角は、細胞の大きさや形やその密度などの形態学的特徴によってT層からY層に分けられるが、Aδ線維は主にT、U層に終末し、一部はV 層に終末する(図2)。C
線維は主にT、U層に終末する。
それに対し、痛みではない触覚・圧覚などの感覚情報は有髄の太いAβ線維によってVからY層に伝えられる。すなわち、感覚情報の種類によって脊髄後角に伝わる部位が異なっていることになる。その後、シナプス伝達を介した痛み情報は対側の脊髄視床路を上行し、視床から大脳皮質の体性感覚野に伝わり痛みとして感じられる。
痛みを原因によって分類すると(生理的)侵害受容性疼痛、神経因性疼痛(neuropathic pain)、炎症性疼痛(inflammatory pain)、心因性疼痛に分けられる。手術侵襲に伴う術後の創部の痛みや帯状疱疹によって痛みを生じることがある。しかし、この痛みは一時的であり、多くの場合、組織の損傷が原因で、その原因が除去されれば痛みは消失する。
つまり、急性痛の生体防御システムであるから当然の反応であり、これを侵害受容性疼痛と呼んでいる。一般的なNSAIDs などの鎮痛薬はこの痛みには有効である。
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慢性的な「痛み」とは?
急性痛のメカニズム解明が進むうちに、ある種の痛みについて理解ができなくなってきた。例えば幻肢痛(phantom pain)である。失った手足に激痛を感じるというものであるが、痛覚受容器とは関係なく起こる痛みもあるのか?という疑問が湧いてきた。
急性痛は一時的であり、組織の損傷が治れば痛みも消えるということは先に述べたが、傷が完全に治った後でも、痛みが慢性的に持続することがある。
このような症例では、不快な異常感覚を伴う自発痛(dysesthesia)、弱い痛み刺激でも強く痛みを感じる痛覚過敏(hyperalgesia)、通常では痛みと感じない触覚や圧覚などの刺激により痛みが誘発されるアロディニア(allodynia)、幻肢痛などの異常な痛み感覚を伴うことが多い。例えば、アロディニアとは帯状疱疹の皮疹が治った後に衣服で皮膚をこすった時や日焼けの後に下着が触れるだけで痛みを感じることをいう。
では、一体どのような痛みが慢性痛に移行するかというと、先に述べた神経因性疼痛や炎症性疼痛である。
神経因性疼痛とは末梢神経および中枢神経の損傷や機能障害による痛みを示す。これは、痛覚受容器が痛み刺激を受けていないにもかかわらず、末梢から中枢に至る痛みの伝導路の興奮が引き金となって生じる疼痛である。
また、炎症は生体組織に何らかの有害な刺激を起こす物質が作用したときに生体が示す局所の反応であり、生体防御反応の一過程である。内因性の発痛物質によって生じる痛みが炎症性疼痛であり、これ自体は生理的な急性痛である。しかし、時として慢性痛に移行することもある。・・・
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慢性的な「痛み」の可塑性変化
解剖、生理、薬理学を専門とする基礎研究者に加え、麻酔科医、神経内科医、精神科医などの多方面の臨床医などによる神経科学的研究の成果によって、徐々に慢性痛のメカニズムが明らかになってきた。しかし、そのメカニズムは複雑で多彩であるため、単一の原因では説明できない。
その中で慢性痛の原因として最も重要なものと考えられているのが“可塑性変化”である。可塑性とは元々物理学の用語であり、弾性限界を越える外力によって生じた変形が外力を除いても歪みとして残る性質である。末梢ならびに中枢神経系の機能的、構造的な可塑性変化がその発生機序のひとつであると言われている。
これを痛みに当てはめると、強い痛み刺激が長時間に渡って加わると、その刺激がなくなっても可塑性の歪みにより痛みが続くことになる。
慢性痛の発生には、痛み伝達系の末梢神経から大脳皮質にいたるまでの種々のレベルにおける可塑性変化が関与していると考えられる。
私たち麻酔科医は鎮痛の手段として硬膜外麻酔や脊髄クモ膜下麻酔を行うことが多い。これらは脊髄後角レベルで痛みの入力をブロックする方法である。また、脊髄は最初に痛み情報のシナプス伝達が行われ、その入力が修飾される部位であり、ゲートキーパーとして痛みの伝達制御に重要な役割を果たしている。よって、ここでは末梢および脊髄における可塑性変化を述べる。
(※管理人注:「可塑性」については、「6、脳の「可塑性」脳は「痛み」を学習し、記憶してしまう。」をご参照ください。)
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1)末梢性感作(peripheral sensitization)
これは一言で言うと、末梢にある痛覚受容器の感受性が亢進し、閾値以下の刺激でも痛みを感じるようになることである。
末梢組織が傷つくと、傷ついた組織および炎症部位に浸潤した白血球や肥満細胞、マクロファージなどからカリウムイオン、水素イオン、ブラジキニン、プロスタグランジン、セロトニン、ヒスタミンなどの内因性発痛物質や化学物質が産生され遊離される。
これらの生理活性物質を炎症メディエーターと呼んでいるが、これは“スープ”または“カクテル”として相乗的に一次知覚ニューロンの終末にある痛覚受容器に作用し、痛みや痛覚過敏を引き起こすことが知られている。
このように痛覚過敏状態が形成されることを末梢性感作と呼んでいる。さらに、上記のほか、種々のサイトカインや神経成長因子(NGF)なども関与していることがわかってきた。
組織の炎症によるインターロイキン1βなどの産生がNGF の産生を増加させ、それが疼痛閾値の低下に働いている。また、プロスタグランジンはシクロオキシゲナーゼという酵素によって産生されるが、このシクロオキシゲナーゼを抑制するのがNSAIDs であり、末梢性感作を抑制する効果があると言われている。
しかし、いったん末梢性感作が引き起こされると、さらに、これは次に述べる二次知覚ニューロンの中枢性感作に影響を及ぼすばかりでなく、交感神経節前ニューロンの異常活動をもたらす。
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2)中枢性感作(central sensitization)
末梢性感作と同様に中枢性感作も可塑性変化のひとつである。この概念が提唱されるまで、痛み情報伝達におけるニューロン間のシナプス伝達というのは固定したものであり、それゆえに、感覚情報の処理過程は固定されているものと思われていた。よって、一定の痛み刺激により予想された反応がおき、ニューロン間の機能や痛みを受けとる範囲(受容野)は変化しないと考えられてきた。
しかし、痛みの神経線維の切断後に受容野が変化する事が見出され、末梢からの痛みの感覚情報の入力によって中枢性感作が誘起されることが次第に明らかになってきた。
中枢性感作は中枢神経系の二次知覚ニューロン、特に脊髄後角ニューロンの興奮性の増加であり、単一細胞レベルでは、「閾値」の低下を伴った受容野の拡大、末梢からの入力に対する後角ニューロンの反応性の増大である。
すなわち、電気生理学的にはそれまで「閾値」以下であった入力が活動電位を生じさせるようになり、受容野が拡大することになる。また、行動学的には、損傷を受けてない部位の痛覚過敏(二次性痛覚過敏)とアロディニアとして示される。
3)神経の再構築(reorganization)
1992年、Woolf らが痛みの末梢神経切断後に、脊髄後角において、情報伝達回路網の可塑性変化が起こることを報告した4)。
正常では触・圧覚などの情報は、Aβ線維によって、第V層以下の深い層に伝えられる。しかし、坐骨神経切断モデルでは、一部のAβ線維が、本来の部位とは異なる第U層に軸索を伸ばすようになること(軸索発芽:sprouting)を示した。
つまり、本来触覚などの痛みとは関係のない情報を伝えるAβ線維が、神経切断後では痛みの伝達に重要である第U層にその情報を伝えるようになることから、この軸索発芽が末梢への触刺激によって痛みが誘発されるアロディニアの発生機序のひとつである可能性が示された。
では、どのようにして軸索発芽が起きるのか。神経切断後にC 線維の変性が起こり、その主な終末部位である第U層からC線維が脱落し、その層にほぼ限局して脳由来神経栄養因子(BDNF)が著明に増加することから、BDNF がAβ線維の軸索発芽を誘発している可能性が考えられる。
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4) 長期増強(LTP:long term potentiation)、長期抑制(LTP:long term depression)
長期増強や長期抑圧は神経の活動頻度や活動パターンに依存して、シナプス伝達効率が可塑的に変化する現象で、脳の海馬や小脳などで観察され、記憶や学習に関連していると考えられている。脊髄後角でも長期増強と長期抑圧の存在が報告されている。これらの現象が痛みとどのように関わっているかは今後明らかになってくると思われる。
5)遺伝子発現の変化
痛みは単に細胞の興奮を引き起こすだけでなく、興奮の結果細胞内カルシウムイオン濃度を増加させる。それが引き金になって二次知覚ニューロンにc-fos、c-jun
などの何種類もの前初期遺伝子(immediate early gene)が発現して、さまざまな蛋白を合成する。これらの蛋白は細胞内で遺伝子レベルの変化を引き起こすことにより、痛みは細胞レベルで記憶されるのではないかと考えられる。
確かに痛みが神経系で記憶されることは幻肢痛の存在からも推察される。手術前からの痛みが中枢神経系のニューロンを感作することにより記憶として蓄えられるのであろうか。また、慢性痛も同様に、以前からあった痛みが細胞レベルでの記憶として残っているためなのであろうか。
皮膚への痛み刺激によって遺伝子発現が変化することは、伝達物質の新たな産生やシナプス伝達効率の変化だけでなく、伝達回路の可塑性変化を引き起こし、痛みの伝達を長期的に修飾して、痛みの記憶や幻肢痛などに関与しているかもしれない。
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6)抑制系の低下(disinhibition)
神経伝達物質には興奮性のものとしてグルタミン酸、抑制性のものとしてγアミノ酪酸(GABA)やグリシンがあるが、正常のシナプス伝達ではこれらの興奮系および抑制系がバランスを保って機能している。しかし、神経因性疼痛モデルでは興奮性および抑制性機序のバランスが崩れている。神経因性疼痛モデルラットでは正常ラットに比べ、興奮性機序は比較的保たれているが、シナプス終末からのGABA の放出が低下している5)。
さらに、このGABA の放出低下がGABA 合成酵素であるグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD65)の低下によるものであることが明らかになった。
それに加えて、モデルラットではGABA を含んだ抑制性細胞が選択的に細胞死を起こしていた。つまり、抑制性伝達物質および抑制性細胞の減少の両者により、抑制性伝達が低下することで相対的に興奮性伝達が増強することがわかった。
7) グリア細胞の活性化
・・・これまでの慢性的な痛みに関する知見の多くは末梢神経(一次求心性線維)や脊髄後角レベルにとどまり、それ以上の上位中枢レベルでの研究はあまり行われてこなかった。今後、fMRI などを用いた脳機能画像を用いた痛みの研究により病態の全体像が明らかになることが期待される。
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先制鎮痛
これまで述べてきた痛みの可塑性変化は手術後の痛みについても起こりうる。
そこで、Preemptive nalgesia(先制鎮痛)という概念が生まれた。これは痛み刺激が加わる前にその痛みをブロックしておこうというものである。
1986年、Woolf ら7)は実験動物で、痛みの入力によって増加する脊髄後角細胞の興奮性は、痛み入力に先だって麻薬を投与すると、後で投与するよりもより効果的であることを発表した。
すなわち、痛み刺激が加わる前に、1)局所麻酔薬による痛みインパルスの遮断、2)麻薬による疼痛閾値の上昇、3)消炎鎮痛薬による局所の炎症の抑制などを施しておくことで、上記の末梢性および中枢性感作が抑制されるためと考えられた。
つまり、手術前に脊髄硬膜外腔に麻薬や局所麻酔薬を投与すると手術後の鎮痛薬の使用量を減らすことができることになる。
しかし、中枢神経は手術中のみならず、組織損傷に伴う炎症反応により、手術後も末梢より痛み入力を受け、中枢が感作され、痛覚過敏状態が形成される。そのため、手術前の痛み入力を遮断すると共に、術中および術後にも鎮痛を施し、中枢性感作の発生を予防する必要がある。
おわりに
「痛み」研究の最終の目的は、痛みを取り除き、患者のQOL を向上させることであるが、これまで述べてきたように、痛みの多様性で複雑なメカニズムによって、多くの慢性痛では明確な原因を特定し、それに対する治療を施すことが非常に難しい。これまで、ペインクリニックでは神経ブロックを主体とする治療を行ってきたが、これだけでは不十分である。
欧米諸国のように様々な専門領域の医療従事者や基礎医学の研究者も含めた学際的な取り組みが必要である。国際疼痛学会は慢性痛に対する最も望ましい施設として学際的痛みセンターを規定している。
これは多面的な慢性痛の治療のため、精神療法、理学療法を含む臨床各科および基礎医学が密接に連携して痛みの治療・研究・教育を行うセンターであり、世界各国で整備が進んでいる。今後、このようなセンターが我が国でもできることを切望する。
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文献
1)Melzack R et al: Science 150: 971, 1965.
2)Bennett GJ et al: Pain 33: 87, 1988.
3)Kim SH et al: Pain 50: 355, 1992.
4)Woolf CJ et al: Nature 355: 75, 1992.
5)Moore KA et al: J Neurosci 22: 6724, 2002.
6)Tsuda M et al: Nature 424: 778, 2003.
7)Woolf CJ et al: Neurosci Lett 64: 221, 1986. |