患者さんと家族、友人の皆さんへ


この疾患は、残念ではありますが、名前を言えば誰でも知っているような病気とは違って、患者さん自身がどうしていいか分からないこともたくさんあります。
また、患者さんの家族や周囲の方、あるいは、友達がこの疾患を発症してしまったという方も、「線維筋痛症」が今まで聞いたことのない疾患であるために、どうしたらいいか分からないことも、いろいろあると思います。
以下に、今までの自分の経験のなかで、もしまわりの方に知っていただければ、患者さん本人が楽になりそうなことを、いくつか挙げてみたいと思います。



 1.患者さんへ
 2.幼い子供がいる患者さん、およびそのまわりの方へ
 3.家族の方へ
 4.友人の方へ

1.患者さんへ

痛みが楽になるための工夫

私の受けた治療法は、下記のイラストCにある、外側翼突筋が線維筋痛症の原発病巣であるとの着眼に基づいて、この傷んだ筋肉を回復させ、ここから三叉神経中脳路核へと流れる痛み信号をブロックすることを目的とした治療法です。

(イラストC)
原発病巣と目される外側翼突筋は、とても薄くて小さい筋肉で、冷やしたり暖めたりすることで、線維筋痛症の症状にもかなりはっきりとした影響が出ます。
私は、寒い冬のあいだに、痛みがぶりかえしたり、めまいが強くなったりなど、症状が悪化したので、この外側翼突筋をよく暖めたところ、症状の改善にとても効果がありました。

具体的にどうしたかというと、毛糸で出来た大きいマフラーのようなもので、よく顔をくるみました。
家の中でも、寒い場所にいるようなときは、暖かいものを顔に巻いて、顔の、目から下全体を暖めます。私は、家にいるときは人目がないため、小さめのひざ掛けのようなもので、武蔵坊弁慶のように目を出しただけで顔全体をくるみました。いわゆる「真知子巻き」のような感じです。

外出するときは、寒さや冷たい風に顔をさらすことになるので、やはり、目を出したのみで、大き目のマフラーのようなもので目から下全体を、すっぽりと覆いました。(下記のイラスト参照)

この風体になると、顔に覆面をしたような感じになって、コンビニなどに入ると、店員さんに警戒されます。それが恥ずかしい場合は、大きめの暖かいマスクをしてもいいかもしれません。しかし、私の場合は症状が重かったので、そうも言っていられず、厚めで幅の広いヘアバンドを二つ顔にかぶり、それで目から下を二重に覆い、その上からマフラーを巻いて、完全防備の状態で外出していました。
しかし、外出するときに、そのようにしてよく顔を暖めたところ、翌日に、はっきりとめまいが少なくなったのが分かりました。また、歩くときに体が楽になりました。
これに味を占めて、私は寒い冬の間、人に怪訝な顔をされるのにもめげず、毎日顔に大きな覆面をした状態で外出していました。
(しかし、マンションのエレベーターで、覆面をした私を見て、あとからエレベーターに乗ろうとしたから男性が後ずさり、そのまま去っていくのには参りました。)

また、体のどの筋肉も、暖めた方が楽になるので、寒い冬の間は、体を冷やさない工夫が重要になるでしょう。

(下記のイラスト:だいたいこんなふうに、目から下全体を暖かいマフラーなどで覆います。)

2.幼い子供がいる患者さん、およびそのまわりの方へ

2008年9月18日に、福岡市で、難病の母親が公園で幼い息子を殺してしまった事件がありました。報道では、この母親は難病にかかっていたとしか伝わってきませんでしたが、報道機関に確認したところ、彼女は線維筋痛症を発症していたようです。


多くの患者さんは、幼い子供の動きに付いていけない。

いくら痛みが激しく、まわりに理解者がなく、追いつめられていたとしても、幼い子供を殺すのは許されることではありません。それにしてもこの疾患を発症し、一日じゅう全身の激痛に耐えている患者さんにとっては、幼い子供の世話は、相当堪えることはあると思います。
私も、今は相当よくなってきたといっても、激しく動き回る幼い子供は、まだとてもこわく感じます。

離れて見ている分には可愛いのですが、幼い子供は常に不規則で予測できない動きをしますし、いつ何どき、身体ごとこちらにぶつかってくるかもしれません。
患者さんは常時、身体全体に痛みを抱えていて、そのために敏捷に動けないですし、子供さんの急で激しい動きについていけず、また、身体のバランスを崩しやすいです。そして、とつぜん子供にぶつかられて転んだりした際に、足をひねったりすると、普通の人の何倍もの痛みを感じます。

普通に歩くことはできても、走れない患者さんも非常に多いです。走るのさえ痛くて出来ないのに、活発な子供に合わせて敏捷で激しい動きをするのは、とても辛いですし、それだけはなく、そういう無理をしたあと、凄まじい痛みが何倍にもなって襲いかかってくることもあります。幼い子供の面倒をみるのは、とてもリスクのあることなのです。



必要な周りのサポート。

報道によれば、子供を殺してしまった母親は、それでもかなり頑張って子供の相手をしていたのではないだろうかと思いますが、この疾患を発症して悪化してくると、その頑張りにも限度があります。
活発でエネルギーに満ちた子供の相手をして、痛みを抱えた自分をいたわれない時間が続くと、症状が非常に悪化することもあるでしょう。
事件が起こる1ヶ月くらい前から、母親の具合は非常に悪かったという報道もあります。


6歳とか7歳くらいだと、子供は親のコントロールを離れて、活発に自在に動き回りますし、その一方で、幼すぎて病気のことを話してもまだ理解できず、話をして子供をコントロールすることも困難でしょう。
親は、いわば身体を張った子育てを要求される時期かもしれません。男の子なら、なおさらでしょう。
この時期の、線維筋痛症を発症したおとうさん、おかあさんは、相当辛いことは想像がつきます。まわりの方のサポートが必要な場合もあるでしょうし、患者さんも、症状をよく説明して、上手にまわりの方に助けを求めることも重要になってくるかもしれません。
患者さんが小さな子供を抱えている場合は、やはり、回りの方の理解がとりわけ大事だと思います。



必要な周囲の理解

この疾患の患者さんは、手足が欠損しているといった、目に見える障害を抱えているわけではありませんが、ときには車椅子を使っている人よりも動くのが不自由です。
足を前に出す、地面を歩く、腕を上げる、首を回す、身体をひねるといった、一つ一つの動作に、すべて激しい痛みがつきまとうからです。
なんとか歩けるときでも、状態が悪いときは、外に出るのさえ辛いです。一歩外に出れば、人の目に見える障害がなにもないので、いくら痛くても、健康な人と同じように振る舞わなければならないからです。
本当に、「線維筋痛症」と名前を言えば、周りの人に、患者さんがどんな状態に置かれているか、患者さんが何をしたら辛いか、また、患者さんに何をしたらいいのかを周りの人が自然に分かっている、そのくらいに疾患の認知が進むことを、切に願うばかりです。


「記事の説明」
読売新聞西部版2008年10月10日付。管理人が取材を受けた記事です。重症になった線維筋痛症患者が陥る辛い状況について、かなり忠実に再現してくれたと思います。患者がおかれている大変な状況について、社会の認知が少しでも進んでいくことを心から願います。

3.家族の方へ

患者の家族のみなさんへ

痛みという症状は、ほかの人からは見えません。もし発熱しているのであれば、体温計で測ってみれば38度とか39度とかいった数字が出てくるので、家族や周囲の人は、自分の経験から、本人がどのくらい辛いのかについて推察してくれるでしょう。しかし、痛みについては、その大きさを測る装置がなく、痛みや辛さを表す、具体的な数字を周囲の人に示すことができません。
とくに、24時間のあいだ常に痛みが続く、それが何十日も続くとか、凄まじく痛いといった経験は、ほとんどの人がしておらず、そういった状態になることを想像もしたことがないために、この患者が陥っている状況について、周囲の人が理解することはとても難しいです。


まず、強い痛みに襲われて、それを止める方法がないという経験は、ほとんどの人がしたことがないと思います。
患者側は、ずっとそういう状況が続いているのですが、周囲の人は、最初のうちこそ「痛い」という患者の訴えに耳を貸してくれたり、注意を払ってくれますが、そのうちに、「痛い」という患者の訴えに慣れてしまい、「いつものこと」といったように、軽く考えがちになってしまいます。しかし、患者の方は、非常に強い痛みがずっと続いていて、耐え難い思いをしています。
以下に、私の個人的な経験を書くことで、患者の家族の方々に、患者が味わっている苦しみや痛みを少しでも理解していただき、患者さんの痛みを和らげることに役立てばと思います。


重症になると、患者は体のどこを使っても痛い

具体的に言うと、たとえば「はさみ」を使う場合、はさみで紙をちょきちょきと切るときに、手のひらの筋肉、指の筋肉、腕の筋肉、肩の筋肉、肩甲骨周辺の筋肉までを使います。重症になると、はさみを使うだけで、このすべての筋肉が痛くなります。本当に痛いです。なので、患者がはさみを使うときも、ほんの少ししか動かせないです。
何によらず、ものを動かすときには、使う筋肉全てが痛くなります。はさみもほかの道具も、大きなサイズのものは、より大きく筋肉が痛みます。患者が使う道具はなるべく小さく、力を使わないものの方がいいように思います。
患者になにか道具を買ってきてあげる場合も、なるべく力を使わずにすむものを買ってきて上げて欲しいです。私は、はさみを買ってきて欲しいと家族に頼んで、家族が買ってきた大型のはさみを見て、絶望的な気持ちになったことがあります。



体のどこを押しても触っても痛い

ジーンズのような、体を締めつける服は着られなくなる場合が多く、同じように、体を締めつける下着も着られなくなります。
また、歩くときに、足の裏が生け花の剣山の上を歩いているように痛むという患者も多いです。
私は、家族に「サンダルを買ってきて」と頼んで、家族が、イボイボがびっしりとついた健康サンダルを買ってきたのを見て、絶望的な気持ちになりました。
歩くだけで足の裏が痛いのに、イボイボの付いたものでは、涙が出るほど痛いです。
体全体に常に痛みがあり、しかも体のどの筋肉を使っても、使った筋肉が短時間で痛くなるといった症状は、他の人には共感、共有が難しい苦しみで、健康な人には、患者の訴えが「神経質」とか「気にしすぎ」というふうに受け取られがちです。
しかし、患者は本当に、気が遠くなるほど痛いので、患者の痛みの訴えになるべく耳を傾けて、患者さんのために小さな物を買うときにも、それを使うときに、患者はどの筋肉を使っても痛くなる可能性があるということを考慮して、なるべく筋肉の負担がかからないものを買ってきてあげて欲しいと思います。



体全体に鉛をぶら下げているような重量感がある

重症になり、この重量感という症状が出てくると、体を立てていることが困難になってきます。たとえると、地面がものすごい力を持つ磁石になった感じで、常に強い引力で、体が下に引っ張られている感じです。
布団の上に起き上がっているのも辛く、体全体を地面にべったりとくっつけていないと、辛くてたまらなくなります。布団の上に上半身を起こしているだけで、肩、首、背中、腰までが痛いです。



遊園地のフライングマシンに常に振り回されているような、強いめまい

私の場合、このめまいがひどく、そのためにテレビ画面や、本や新聞を読むことが非常に辛くなり、パソコンもほとんどできなくなりました。私のめまいは、ハンディカメラで映した、ひどく手ぶれのする映像をいつも見ているような感じで、常時船酔い状態にあるようでした。

私は上記のような症状が重なって出たので、たとえば布団から立ち上がるだけで、はじめから痛い首、肩、背中、腰などが、激痛になり、同時に全身に砂袋をつけた重量感があり、立ち上がったとたんに、地球がぐるぐる回っているような強いめまいがやってきました。



手すりをつける工夫

私の家では、自分の寝室が二階にあったので、どうしても一日に数回は階段を上り下りしなければなりませんでした。上記のような症状があったので、症状が重くなったとき、私は家族に頼んで、階段の周辺にすべて手すりをつけてもらいました。
私はもっとも重かったときでも、痛みに耐えれば、なんとか手すりを使い、時間をかければ階段の上り下りができましたが、私よりもっと重症の患者さんでは、階段を使えなくなる人もいます。そういう場合は寝室を一階に置くことなどのほかに、家の改造が必要になることもありえるでしょう。



障子と襖(ふすま)

患者は自分の手を使うときに、手とか腕だけではなく、肩や肩甲骨、背中の筋肉までが痛くなることが多いです。私は、歯ブラシを使うときでさえも肩や腕が痛く、ダンベルを振っているような重さを感じました。
患者がそれまではふつうに使っていた障子とか襖も、開け閉めがスムーズに行かない場合は、患者に強い痛みが発生していることがあります。患者さんが「障子や襖が重い」と言っていたら、すべりを良くするために下に蝋を塗るとか、下に小さな車輪をつけたものにするとか、工夫が必要な場合もあると思います。



食器

同じように、手を使って食事をするときも、瀬戸物の食器を持ち上げるのが痛くなる場合があります。私の場合も、ラーメンを入れた瀬戸物のどんぶりを非常に重く感じられ、持ち上げられるようになるまでには、とても時間がかかりました。
食器も患者さんにとって重く感じられるようなら、プラスチック製にする必要があるかもしれません。
患者にとって、瀬戸物の食器はとても重く感じられ、食器を洗うときにも苦労します。悪化してくると、プラスチックの食器でさえも、中に水が入ると水の重さで洗えなくなります。


本とハンガー

私の場合、症状が重かったときは、痛みのために、ハードカバーの本を持つことができませんでした。本を無理して持ち運んだときに、そのときに感じた背中や腰に感じた強い痛みがずっとあとまで残って、それまでは何とかできていたこと、たとえば、布団に起き上がってコーヒーを飲むなどができなくなってしまい、かろうじて残っていたそういう楽しみが、長いときには2週間ほども取り上げられてしまったからです。

ただ、目に重い症状が出ずに、本が読める状態の患者さんの場合は、テーブルの上に置かれた本を手前にひきずってページを開けることができれば、本を読めるかもしれません。本や新聞を詠むことは、患者に残された数少ない楽しみの一つなので、「本を読めるけれども本を持ち上げることができない」状態の患者さんには、本を動かしやすい位置においてあげるなど、周囲の協力によって、残された数少ない楽しみを維持してあげることができるでしょう。

同じように患者は、ハンガーにかかった服を、ハンガーごと持ち上げたり、ハンガーから外したりすることも痛いです。うっかりスーツがかかったハンガーを持ち上げたりして、肩から背中に激痛が走り、そのときの強い痛みが2,3週間も続いたりすることもあります。患者が着る服も、周りの人がはずしてあげて、患者が着やすい位置においてあげれば、患者は感じる痛みを少なくすることができるでしょう。



引き出し

私が非常に辛い思いをしたのは、重い引き出しの開け閉めでした。特に、印鑑など何かを探す場合、ものがたくさんあって混乱した引き出しのなかをかき回すような作業は、激しい痛みと、目当てのものが見つからない怒りのために、その場で絶望して首をくくりたくなるくらいの気持ちになりました。

患者さんのまわりの人にぜひ進言したいのは、患者さんが使う可能性のあるいろいろなもの、タオルとかハンカチ、ボールペンとか靴下とか、そういう雑多な物をしまう引き出しの中を整理してあげてほしいのと、患者がそれらを探す時間を最小限に抑えるために、決まった場所に、決まったものをしまっておく習慣をつけてほしいということです。
引き出しの中のものを探す作業は、肘を上げて痛い肩や腕、背中などを無理して使い続けなければならず、線維筋痛症の患者は、腕や肩、首に痛みが出ることが多いので、本当に辛いです。



足元の安全

同じように、重症になると、足の運びがおぼつかなくなるので、患者さんが歩く場所に、余計な荷物とか、ものを置くのは危険だと思います。
万が一、患者さんが足をひねったり、あるいは骨を折ったりした場合、その痛みは通常の人よりはるかに強く、また、普通なら痛みが引く期間が過ぎても、さらにずっと長いあいだに渡って痛んだりします。
同じ理由で、夜、暗い空間を歩くのは危ないので、家の中の明かりは、常に切らさないことが必要だと思います。



患者さんへの精神的なケアについて

上記のような症状が重なって出た場合、患者さんの人生は、ほぼ絶望的になってしまいます。患者さんは歩けないことを我慢し、テレビが見られないのを我慢し、新聞、本を我慢し、外出できないことを我慢し、喫茶店でコーヒーを飲んだり映画を見たり、ちょっと外でお酒を飲んだりという楽しみを我慢し、つまり、それまでの人生で楽しんでいたことを、ほぼすべて諦めなければならなくなります。

私の場合も、上記のようなことはほとんど全て諦め、寝ている部屋の窓から見える、かえでの枝が紅葉したとか、若葉になったとか、そこにスズメが来たとか、そういうことだけを楽しみとして生きていかなくてはならなくなりました。
ほとんどの人がこういう生活を経験したことがないために、たとえば患者のお見舞いに行って、何気なく話す話題が、患者さんの気持ちを傷つけたりすることがありえます。

私の場合、たとえば、「どこそこに美術館ができた、映画館ができた」「こないだ海に行った、そのあとでバーベキューを食べて、それでテニスをして」「最近出た新刊書、封切られた映画が」「こないだ行ったレストランは」「今年の花見は」「今年買った洋服」といった、たいていの話題が、自分が「もう二度とできない」「手に入らない」と諦めた楽しみであり、これらの話題を耳にするたびに、「なぜ自分がこんなことになってしまったのだ」「なぜ自分はそういう楽しみを一生奪われることになってしまったのだ」という絶望や怒り、哀しみにかられ、冷静でいることができませんでした。

患者さんは、そういう楽しみを奪われたことについて、非常に辛い思いをしています。これはとても残酷な事態であり、これらを思い出させるような話題は、患者さんを苦しめます。といって、これらは普通の人がふつうに取り上げる話題であり、これでは患者さんと、日常的な話は何もできないということになってしまいます。

それではお見舞いに行った人が、患者さんと何を話せばいいのかということになりますが、患者さんは自分が楽しみにしていたさまざまな事ができなくなった代わりに、それまでの人生でさまざまに積み上げた経験を持っていることが多いです。線維筋痛症を発症した人は、それまでの人生で、仕事や趣味で多くの経験を持っている人も多く、彼女や彼がそれまで蓄積してきた知識や経験について、話を聞いてあげれば、患者も自分の経験などが役に立ったことに喜びを感じることもあるでしょう。
私の場合は、仕事に関しては多岐にわたる経験をしていたことと、また絵画や美術等について相当詳しい知識がありました。ボランティアで車椅子を押してくれる若い人とそういう話をして、彼らが私の知識や経験を聞いてくれることで、まったく動けない私も「自分が何らかの役に立つ」と思え、とても嬉しかった経験があります。



患者の気持ち

私は上記のような状態に陥ったとき、自分がそれまで楽しみにしていた、本を読むとか絵画や映画を見ること、あるいは文章を書くなどの自己表現による楽しみも失ってしまい、残された楽しみは、聴覚によるものだけでした。

そのときに残っていた能力で、少しでも楽しみを見つけるために、私は家族に頼んで、図書館で落語のCDやクラシックのCDを借りてきてもらいました。そういうときに患者が、家族が借りてきてくれるCDをどれだけ楽しみにしているかについては、普通の人の想像を絶するものがあります。

重症になった患者には、普通の楽しみがほとんど残されていません。健康であったときには何の造作もなくできた繁華街でのショッピングも、パリ旅行も、出来ないという意味では、同じほどに遠い存在です。
そういう意味では、患者にとっては、図書館から借りるCDにもパリ旅行くらいの意味があります。
健康な人にとっては、「たかが図書館で借りるCDなんて」と思われるかもしれませんが、患者にとっては、まさにそれがパリ旅行と同じくらいの、貴重で得がたい楽しみになっているので、絶対に患者のリクエストを間違えないで借りてあげて欲しいと思います。

それだけを楽しみにして辛い毎日を生きているのに、たとえば家族が、聞きたいCDではなく、すでに何度も聞いているCDを間違って借りてきたようなときは、本当に人生に絶望的な気持ちになってしまいます。
そういうときの、「毎日まいにちこれだけ我慢をしているのに、私はこれだけの楽しみの味わえないのか」という患者の怒りや悲しみは、健康な人には理解できないと思いますが、私は家族が間違って違うCDを借りてきたときに、本気で首をくくろうかと思うくらいの怒りと絶望感にかられました。



(左のイラスト:患者は体が非常に重くなり、階段を登るのが辛くなることが多いので、階段の周辺に手すりをつけると上りが楽になりますし、下るときも危険を減らせます。)
(右のイラスト:患者は足の運びが辛くなるので、足元につまづくようなものが置いてあると危険です)


4.友人の方へ

以下に書くのは、私がもっとも悪かったとき、それでも生きていくための指針として心がけていたことです。これは、健康な人が読んでも、まったく何の参考にもならないものです。ただ、「患者の日常生活は、これだけ普通の人とは違うのか」と理解していただく助けになるかもしれません。友達を始めとするまわりの方の、患者さんへの理解に少しでもつながればと思うので、以下に記します。


希望がなくてもどのように生きるか

1.現実を見ない。
現実を見ると、「なぜこんなことになってしまったのか」と血を吐くような慟哭が始まり、際限がなくなってしまい、心の安定が図れません。現実を見ることは、生きる気力につながらないので、ほぼ四肢全廃(手足がほとんど使えない)、歩けない、動けない、24時間痛いという現実を直視しませんでした。常に現実逃避していました。

2.「死」の可能性を追い払わない。
「死」は、いろいろ考えられる選択肢の中で、有力な進路の一つと考えていました。患者にとって、「自死」は普通の人の考える「自殺」とは相当違っています。死ぬことで、何をやっても止まらない痛みを確実に止められます。どうやっても止まらない痛みを止めるためには、「死」は唯一の解決手段だったので、それを最後の希望と考え、その可能性を追い払わないようにしていました。

3.この世には「地獄」しかないと思う。
それ以外の、かつての「楽しかった」(旅行に行った、食事に行った、映画を観て感動した、などの)世界は見ないようにしました。この世に「地獄」しかなければ、「地獄」で生きるしかないわけです。

4.「努力」しない。「希望」を持たない。
希望・・・現在の治療法を知る前、どんな治療にも回復せず症状は悪化する一方でした。そうなると、「希望」は持たない方が心理的に楽になります。どんな治療でも回復しない場合、「希望」を大きく持っているほど失望が激しく、生きる気力が著しく殺がれてしまいます。
努力・・・持てない物を持ったり、歩けないのに無理に歩いたりすると、まさに罰を受けるように激痛に見舞われるので、努力は良くない事と考えました。
そして一生地獄を生きると覚悟を決めたころ、「夢を持とう」「夢が大事」といったことが書いてある記事や雑誌はすべて見えないところに隠しました。「夢」を持てる健康な人たちから、自分が完全に落ちこぼれていることを思い知らされ、生きる気力につながらなかったからです。



だいたい、以上を心がけていれば、心の安定は保て、嘆いても始まらない身の不運を嘆いて号泣するとか、それでなくても大変なまわりの人を、それで消耗させるとか、いくら言っても建設的でないことを口にして、時間と体力を使うことは少くなります。
上記の心がけは、希望がなく激痛だけがある毎日を、なるべく体力や気力のロスを少なく暮らすときの助けになりました。



患者さんの友人の方へ

希望がないまま、上記のような生活を生きるのは大変なことです。この辛い日常に負けずに生きている患者さんに、尊敬の気持ちを持って接していただければと思います。
また、この疾患を発症して重症になると、事実上、「重度身体障害者」になってしまいます。健康で何不自由のなかった友達が、ある日このような状態に陥ってしまった場合、それを見る側にも、辛いものがあるかもしれません。

私の場合、発症する前は人一倍行動的でエネルギッシュなタイプだったので、発症して動けなくなったと連絡しているにもかかわらず、今度一緒に旅行しよう、食事しようと言ってくる友達がいました。
以前の私を知る人からすれば、「歩けない、動けない」私そのものが、想像もつかなかったのかもしれません。あるいは、そう言ってきた友達は、元気でなんでもやれた私が、重度身体障害者になってしまったという現実を見るのが辛かったのかもしれません。
結局、その友達は、悪化している間を通じて、一度も会いに来ませんでした。



「難治性疾患」になった患者の気持ち

いずれ回復する病気であれば、病気のときや弱っているところは、人に見られたくないという心理もありえると思いますが、私の受けた治療法を別にして、この疾患は、重症になると一生治らない可能性が高いです。
車椅子に乗って人の介護を受けながらでなければ、外出もできなくなる場合もあるので、患者はそういう生活を送る覚悟を決める必要があります。そうなったときには、友達にそういう姿を見られたくないと言っている場合ではなくなります。


健康な人には、治らない疾患というのが想像つかないかもしれません。でも、一緒に食事に行ったり旅行ができなくとも、ときどきはお見舞いに行って、友人ができないこと、ちょっとしたご用聞き、引き出しを開けて欲しいものを取ってあげるとか、棚の上から物を下ろしてあげるとかしてあげたら、その友達は嬉しいかもしれません。
あるいは、彼らが自分では行けない図書館などに行って、本を読める患者さんなら本を借りてきてあげたり、CD,DVDを借りてきてあげたり、あるいは患者さんに代わって返してきてあげるとか、そういうちょっとしたことが嬉しい場合もあると思います。


私の場合、家族・親族を除くと、健康なときの友人は、悪化していた時期を通じて、ほとんど会いには来ませんでした。よほど親しい人以外には詳しい事情を説明しなかったこともありますが、親しかった友人でも「治ったら旅行に行こうね」「食事に行こうね」という言葉とともに、私の視界から消えた感じでした。
やはり今思えば、彼女たちは、重度身体障害者になった私とどう接すればいいのか分からない、といった気持ちが強かったように思います。



お見舞いが役にたつこともある。

この疾患を発症した患者は、人生におけるさまざまなものを失っています。病気になったと聞いて、もし友達が会いに来なくなったとしても、それは患者が失ったさまざまなものの一つに過ぎませんが、でもやはり、友達がいなくなるのはさみしいものです。

この疾患になり、もしいい治療法に巡り会えなかったら、生涯を重度の身体障害者として生きなければならない可能性があります。
大事な友人がそんな疾患を発症してしまい、友人のお見舞いに行ったら、もしかするとショックを受けて、泣いてしまったりするかもしれませんが、しかし私の感じでは、もし友達が自分の前で泣いたとしても、患者本人はあまりショックを受けないのではないかと思います。患者は自分の運命が激変したことがまず非常に辛く、また痛みが辛く、正直言って、人が受けるショックどころではないと思います。


患者の受けるショックはあまり考えずにお見舞いに行ってあげたり、ご用聞きをやってあげれば喜ばれることもあるのではないかと思います。


患者さんの気持ちを傷つけないであげて欲しい。

その場合、上記のように、「きっとよくなる」「元に戻れる」といった言葉は、よほどの根拠がなければ、かえって患者の怒りをかき立てる場合もあると思います。
友達が重度の身体障害者になったとしても、それじたいを個性として受け入れ、付き合ってあげればいいのではないかと思います。
患者さんと話す内容も、もう二度と出来ないことが多い患者の心を傷つけないように、(「患者さんへ、家族の皆さんへ」をご参照ください)、患者さんが喜んで話せる話題を提供してあげて欲しいと思います。


この疾患は、ある日突然歩けなくなるというように、まるで交通事故に遭ったように劇的に発症するパターンよりも(私はこのパターンでした)、最初はどこか一箇所に痛みが出て、その痛みがだんだん広がっていくという形で悪化する方が多いようです。だんだんと悪化していった場合でも、一緒に暮らす家族がいないときは大変です。私は幸いにして、発症したときには、一緒に暮らす家族がいました。

もし友達が悪化したときに、その支えになってあげるのは大変なことですが、誰かが相談に乗ったり、助けてくれる人がいれば、発症した患者さんは心強いこともあると思います。
本当に悪化してしまったときには、誰かが家事をやるとか、あるいは家族が一緒に暮らすなどする必要があると思いますし、そうでなければ行政か民間業者の家事・介護サービスを受けないと、暮らせなくなる可能性があります。そういうときに、代わりに情報を集めたり相談に乗ってあげることができれば、患者さんが助かることも多いのではないかと思います。


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